元気通信#189 「トンネルの先に光が見える」経営

  昨秋からレンタル売上が堅調に伸び、今年に入っても月間最高記録を更新している。2年前「主役と脇役」を分けて役割を明確化し、「全体最適」を判断基準に、社員さんたちが一生懸命に精励してくれたおかげだと感謝したい。そして4月からは弊社も第25期を迎える。来期は「筋肉質の会社」に変身することで、「経営理念」”豊郷幸人”の実現の第一歩とする決意だ。

 この2年、店長を核にチーム一丸となり改良改善に努め、効率性を追求し業績向上に努めてきた。その結果がやっと昨秋から顕在化したと分析する。そこで求人活動に入ったが、案の定求人は難航したが、R社の(AIを駆使した)サポートを得て、またダスキン加盟店さんのご紹介もあり、3月から久々に新入社員が誕生する。本格的な求人はコロナ禍以降では初。関係者に感謝したい!

 新人さんと電話で話した時、「福祉用具レンタル・販売」の仕事(以下:福祉用具)は業界ではどう捉えられているか理解できた。他の介護職が利用者様のお世話をすることが第一であるのに対し、「福祉用具」は介護職よりも「営業職」が濃く、ノルマがあり数字に追われる仕事である、と言う認識だ。言われてみるとそういう面は強いかもしれない。しかし株式会社であっても社会福祉法人等であっても「経営」と言う点では一緒であって、赤字経営が続けば明日はM&Aされるか破産するしかない厳しい世界であることはどこでも同じだ。

 その時、ある福祉用具の営業担当は「ノルマがあり、仕事が辛い」と言っていたそうで、全般にそういう営業職が多いようだ。しかし、これは経営者の責任が大きい。目の前の数字ばかり追いかけ、社員たちに最も大事な「会社は何を目指し、社員たちに夢を与え、夢を共有する」ことを語れていないのではないか、反省させられた。逆に「事業の目的・意義を明確にして、強烈な願望を心に抱き、常に社員たちと夢を共有する」ことを実践して行けば良いのだ!と強く確信できた。

 私も過去、「経営者が夢を語ってくれる」ことで転職し大きな夢を描いたが、「ある時から経営者が夢を語らなくなって」失望した経験がある。(それでも、これも自分の人生だ、と思い直し独立の夢が実現した)・・・人は「トンネルの暗闇の先に光が見えれば、頑張れる」ものだ。社員たちに「夢を語り、夢を共有し、共に努力し、実現する‟夢請負業”」が経営者の最も大事な仕事だとあらためて思う。・・・ただ今は日本だけでなく世界が混迷する中で、どんな夢を描き続け、実現するかは、半端な気持ちでは困難だ。経営者は「己に厳しく一所懸命努力し、人間性を磨き、経営を伸ばさなくてはならない。そして社員たちを幸福にし、介護福祉業界の健全な発展に貢献しなくてはならない。・・・私に視野を広げてくれるきっかけを作ってくれた新人さんに感謝したい。


2025年2月 郡元・一之宮神社

雄ちゃんの今昔物語 VOL,123

「目立ちたがり屋」 の今、「笑い過ぎてダレた(疲れた)」

子供のころから、人前でしゃべったり唄ったり踊ったりすることが好きだった私は「目立ちたがり屋」の典型だろう。グループの中でも「仕切り屋」の私は、良く言えば「リーダー」だが、悪く言えば「自分勝手」。人前に出ずに付いていく人だった母親似ではなく、会社の行事等で流暢に司会をしたりしていた父親似なのだろう。

 TVが普及し始めてからは、見よう見まねで歌や踊りを覚え、初めてパフォーマンスは小学4年のお別れ会で3人で唄ったNHKの人気番組「お笑い3人組」。クラスの「成績トップ3」の歌と踊りを私が仕切り、先生が驚き非常に喜んでくれた。高学年になるとロカビリーやツイストが流行り教室でよく踊っていた。6年の文化祭では保護者(当時は「父兄参観」と言った)の前でホウキをギター代わりに持って唄ったのが、当時人気爆発の植木等の「スーダラ節」だった。・・・今もショーの18番で大活躍!

 中学・高校になると我が家もステレオを買い、レコードも少しずつ揃えて、好きな「ロックンロール」「オールディーズ」の洋楽を中心に学校でも休み時間に唄った。高校に入ると「ビートルズ」「ベンチャーズ」バンドブームが起こったが、長髪が「不良のレッテル」が貼られる時代、基本「良い子」の私はそこまで踏み込めず、高校の東京修学旅行バスの「ワンマンショー」で人気を不動のものとし、仲間の喝采を浴びてご満悦だった。

 一浪して入学した熊本大学は大学紛争でストライキの真っ最中、好きなビートルズやオールディズを唄いたいと思っていたが、サークル活動では「君はどう大学闘争に関わるのか?」を求められ、バンドもメッセージ色の濃い「フォークソング」が主流。大学2年でキャンパスを離れ、魅惑的な「夜の社交場」“ディスコ”や“クラブ”でアルバイトし、ジャズバンドと仲良くなり、大好きな洋楽ポップスを唄わせてもらった。「人前で唄い、パフォーマンスする」目的は果たしたが、おかげで1年留年してしまった。

 社会人になって「人前で唄うこともないだろう」と思っていたら「カラオケ」が登場!業界等の見本市前夜祭では洋楽・ロックを英語や仏・伊語で唄い踊るパフォーマンスで、業界一の「目立ちたがり屋」と化してしまった。経営者になっても、ダスキンや銀行のパーティでは今も続いている。仕事の中身よりもパフォーマンスが先行し、本当の私は仕事一途な「真面目な経営者」だが、そう思ってくれる知人は少ない。

 7年前からはケアマネさんのご縁で、系列の介護施設での「忘年会・新年会」の出演が増え、既に50回以上「Elvis John 小林」ショーを行う。ファンも増え、歌の間のトークはクイズ形式の「言葉のキャッチボール」で笑いを誘う。最後は握手や写真撮影で盛り上がる。「笑い過ぎてダレた!(疲れた)」と言う利用者様の声が「最高の誉め言葉」だ。皆が喜んでくれると私も元気一杯になる!今後も時間が許す限り続けたい。


(左)1965年3月・中学卒業式後
(中・右)2025年1月29日/ツクイ宇宿鹿児島新年会