元気通信#195 第2ステージ
8月盆明けて、待望の新入社員I君(37歳男性)が弊社にも登場した。コロナ禍以降、初の入社であり、これからの彼の幸福な人生に貢献できるように、全社上げて取り組みたい。併せて、将来会社を背負ってくれる社員に成長して、店長や先輩社員たちと「強靭な会社」を作って、然るべき2030年代の厳しい介護業界でも「三方よし」の健全な発展に貢献出来るよう、将来に夢を抱きその実現に邁進して欲しい。そのために私も最後の力を振り絞って精進していく覚悟だ。
9月に入り、I君はM先輩社員と社外ではモニタリングや納品・担会に同行し、社内に帰っても店長やダスキンWEBの研修や、モニタリング・アポ取りで多忙な毎日だ。ある日の夕方、「ただいま!」と私が2階事務所に帰ると、I君はMさんとモニタリング・アポ取り電話の真っ最中だった。私が机に座り仕事を始めて数分、アポ取りを終えたI君が席を立ち私の前に来て、笑顔で「社長、お帰りなさい!」と言うや、Mさんもすかさず私の前に来て笑顔で「社長、お帰りなさい!」・・・思わず、事務所全員で大笑いした!・・・この雰囲気を大事にしたい。きっと会社はさらに良くなる!
昨年秋からのレンタル売上の快進撃も4月をピークに、春からは小康状態が続いたが、8月は猛暑のせいか?入院やお亡くなりが続出し厳しい結果となる。「それでもまだ前年比1割アップしている」と明るく考え、「今やれることに専念しよう!」と言葉をかけている。しかしまだ「実力が付いた」と言う実感がないだけに心は穏やかではない。
私はこれを「神の啓示」と受け止るようにした。私の社会人生活50年を遡っても、「良い業績を上げた後は有頂天になり、そこで進歩が止まり、その後悪化する。あるいは悪いことが起こる」という過去がある。サラリーマン時代から経営者になってからも何度も失敗することの繰り返しだ(雄ちゃんの今昔物語#127~128をご参照)。京セラ創業者・稲盛和夫氏の有名な言葉「謙虚にして驕らず!さらに努力を」に出会い、鹿児島盛経塾で「我が心を高めている」が、今が行動する時だ、と思う。現状を厳しく「神の啓示」と冷静に受け止め、ますます仕事に精進するように努めよう。
2年半前、組織を変え、それを機に「黒字企業」に転換した時を「第1ステージ」とすると、今期(25期)から新たに「第2ステージ」に入った!これまでは「全体最適」を判断基準に「効率性・生産性」を追求してきて成果を上げた。「第2ステージ」はこれをベースにしつつも、さらに上のステージ「良い結果を出すためには、どう考え行動して行くか?」を全員で考え、その価値観を共有し、チーム一丸となって行動して行く!・・・乞う、ご期待!

2025.8 マリンポートから鴨池新町(左岸)の架橋工事(新川最下流)
雄ちゃんの今昔物語 VOL,129
戦後80年「奴隷船の記録」
今年3月、久々に上京した時、母の下から2番目の妹・照子叔母と足立区の老人施設で再会した。93歳の高齢で、ほぼベッド・車いすの生活だった。母方の一番下の縫子叔母は90歳、熊本在中で母の法事には必ず出席してくれていたので良く知っていたが、照子叔母との再会は48年ぶり。「もう会えるのは最後かもしれない」との気持ちで、在京の姉と共に訪れた。その時に、叔母が、小説「奴隷船の記録」(藤沢照子/著)を20年前に書いたことを知り「まさか、身内に小説家がいるとは!」と驚いた。「全国の書店や図書館にあるから、読んでみて」と言われたが、帰省するや仕事の多忙さに追われ、数か月が経ってしまった。
7月に入り「今年は戦後80年」と戦争特集がテレビ等で見て叔母の小説のことを思い出し、早速書店に行き探したが、既に廃版になっていた。「鹿児島市立図書館にも、無いかも知れない」と探したら、在庫されていて、ありがたく借りることが出来た。
照子叔母との最初の出会いは、私が5歳ぐらいの時、当時叔母は「夢の東京」で暮らし、母方との付合いの悪い父にも一目置かれていて、当時(外食は贅沢な時代に)熊本最大の百貨店「大洋」のレストランで、家族ぐるみでご馳走になったことを思い出す。その後も照子叔母は姉にはいつも気にかけていて、「生活は見るから」と東京の大学進学を勧められたが(昭和30年代は女性の大学進学は稀だった)父は断ったそうだ。その後、照子叔母は結婚し、熊本にご主人を連れて帰り、息子二人が生まれ、ご主人も電気工事の自営業を営んでいた(姉も事務兼養育係として働く)が、私が熊大在学中に東京に戻った。私が27,8歳ぐらいの時、東京出張で、小金井市在住で一泊させていただいたのが最期だった。
亡き母からは少しだけ朝鮮からの引き揚げの悲惨さを聞いたことがある。祖国日本に帰るまで「女は男装してリヤカーに潜り隠れ、男がリヤカーを引っ張った」。当時の朝鮮人やソ連(ロシア)人の暴行から逃げる悲惨さ・・・この著書の最初の場面「8月15日の敗戦を境にして、天国から地獄の転落」の描写が、朝鮮・興南の地で描かれるが、戦争とは人間を心身ともに自堕落まで落し込んでしまう。体験した人でなければ分からない悲惨さだ。
その小説では、叔母たちが家族(当時3歳の幼女が私の姉で、叔母たちから非常に可愛がられていた。その後姉の大学進学も、この本を読み納得した)と離れ、はるか「カムチャッカ」の地まで船で運ばれ、その地で常に「死と背中合わせ」の1年余、人間以下の「奴隷船」に乗って帰って来たが、その間疫病で次々に人が死に、海に捨てられ、港には死体が累々と積上げられる。すべてが行方不明者であり、記録にも残らない・・・広島長崎はもちろん、日本各地の空襲により死体が累々と積上げられる光景を思い起こされる。・・・それは今も「ウクライナ」や「ガザ」で日々見られる光景であることを私たちは忘れては行けない。
私たちは今少なくとも「明日も今日と同じ平穏無事が見られる」・・・これを「平和」と言うのかもしれない。これが全く見透せず、さらに死に向かう恐怖があるならば「奈落の底」に落ちて自分を見失ってしまうだろう。これが「戦争」であり「地獄」と言うものだろうか?・・・「今の普通の生活こそありがたい!」と、感謝する気持ちを忘れてはならない。

2025.7.19 “希望と平和の使者”「ELVIS JOHN 小林」 inデイサービス・ツクイ吉野様