元気通信#184「少しずつ欲を抑える」
(2023・2 リメイク版)
西郷隆盛が島津久光公の逆鱗に触れ、沖永良部島に流された時、その島の子供たちに学問を教えたそうです。「君たち、一家が仲睦まじくするためにはどういう事をすれば良いのか?」と質問しました。子供たちは「君(天皇)には忠義を、親には孝行を、兄弟・友達とは仲良く助け合う」と答えました。「それは正しい。正しいけれどもその答えではどうすれば良いのか分からない。一家仲睦まじくするには、それぞれの人が少しずつ欲を抑えればよい」と言ったそうだ。
例えば、おいしいものがあれば家族みんなで分けて食べる、喜びがあれば家族みんなで喜びを分かちあう、悲しみも分かち合い、ともに悲しんであげる・・・つまり「俺が俺が」と言う欲が強くならないよう、皆が少しずつ欲を抑えることで、一家が仲睦まじくなる、と言うことです。
すごく分かりやすく、世の親たちにも、中小企業の経営者にも、リーダーと呼ばれる人にもすべてに伝えたい言葉だと思う。「親孝行する、仲睦まじくする。社員皆が仲良く協力する」それぞれもっともなことだが、そのためには「皆がそれぞれ少しずつ欲を抑えて、分かち合う気持ちを持てばいいのだ」と分かりやすく、すっごく肚落ちした。さすが西郷南洲だ。
私は両親が再婚同士の家庭で、兄姉が7歳以上離れた末っ子のため、兄姉に比べわがままに育った。明朗で積極的で天真爛漫で頑張り屋だが、根は自己中心、学生時代・社会人になっても、同僚や上司部下の関係で、よく主張していた。やはり少年時代に「少しずつ欲を抑える」訓練が出来ていなかったから、社会人になって、経営者になっても苦労が絶えないのだろう。せめて子供たち、孫たちには私みたいにはならぬ様、「分かち合える家族」であって欲しい。
ところで介護業界の「囲い込み」には非常に疑問を感じる。ケアマネさんが「利用者様の意を汲んで事業所を決める」のが基本だが、利用者様に合ったケアプランよりも、自社(法人)を優先した「囲い込み」が多く見られる。一体誰のための介護保険制度なのか、と考えると残念でならない。「皆がそれぞれ少しずつ欲を抑えて、分かち合う気持ちを持てばいい」と考えられないだろうか?近江商人の言葉「三方よし」(買い手よし、売り手よし、世間よし)はサービス業・商売の真髄だが、「介護業界こそ‟三方よし”」を理想に掲げ、微塵ながら実現に努めて行きたい。
そのためには弊社が先ず「どこよりもケアマネさんに信頼される事業所」でなければならない。「ぜひダスキンを!」と胸を張って利用者様にご紹介していただけるよう、「迅速性」「商品力」や「安心・安全」、お役立ちできる「人間性」に磨きをかけ、全員で日々精進してまいります!
「大観峰から見る阿蘇五岳」2024・8
雄ちゃんの今昔物語 VOL,118
緋牡丹「お民」
私の熊大留年が決まり、もう後はないと決意してレコード店でバイトしていた頃、所属した(歌謡コーラスグループを目指し鹿児島・福岡と転々した)バンドが、再起を期して熊本に帰って来た。私は学業に影響ない時間との約束で、当時有名なキャバレー(夜の社交場)で再び歌った。当時はカラオケのない時代なので「人生の歌い修め」の心境だった。
当時は、フルバンドと交代で3ステージを演じた。空き時間には、よく近くの喫茶店に出かけた。「リバーサイドに洒落た喫茶店が出来た」と聞き、私も時々仲間と行っていた。ある日、「かわいい女の子が入ったけど、その子がJOHN(私の芸名?)を好きだって!」とバンド仲間の冗談だったが、真に受けた私が喫茶店に電話したのが、妻たみ子との付き合いの始まりだった。・・・今から51年前の9月のちょうど今ごろだった。
誰とでもすぐ仲良くなり、人を大事にして何事もわきまえ、冗談で人を和ませ、必ず人の渦の中心になる存在だったので、知人友人・誰に会うにも一切気兼ねすることなく一緒に行動できた。当時弟が5人いるのに驚いたが、その弟たちを守る姉の気概だろうが、火の国(阿蘇出身)の強い女性の、いざという時の根性を節々に感じ、3歳年下を感じさせない「姉さん女房」的性格は、50年経った今も変わらない。(少しわがままでうるさいが・・・)
時は、結婚を4月に控えた昭和50年1月3日。阿蘇の家で夕食の宴、すぐ下の弟の成人式があり、弟が口から血を流して帰って来た。同じ歳の従妹の家(近所)でその知人男性2人と口論となり殴られたそうだ。その話を聞くが早いか、姉(である彼女)は日本髪を結い着物を着ていたが、裾をまくって下駄で駆け出した。私も「どうなるものか」と後を追っ駆けた、寒い冬の夜を。・・・カタカタ、カタカタ(下駄で走る音)、ガラーッ!(玄関を開ける音)
「どこのどいつか!うちの○○(弟)を殴った奴は!出て来んか!」凄い剣幕が家中に響き渡った。・・・奥からスーツを来た青年が二人出てきて、すぐに土間に土下座して謝った。「すんませんでした!」
私が彼女を後ろから掴まなかったら、殴りかかったかもしれない。叔母も従妹も出てきて、その場を取り持ったが、私には任侠映画「緋牡丹博徒・お竜」が舞い降りたようだった。
スゲー!圧倒された瞬間だった。「今年、この娘と結婚して自分の妻となり、我が子を作るのか」・・・あれから50年、現在も私と共に家庭と会社を守ってくれる縁の下の力持ち、2人の子、4人の孫を生み育て、本当に感謝!そして、これからの老後も共に元気で!