元気通信#185「被害者意識の払拭」  

 東日本大震災を体験された経営者の講演で凄いと思ったのが「こんな被害に遭ったのだから、援助していただくのは当たり前と言う当然感を払拭すること」、「再建は自分たちの手でやるのだ。いくら助けてと外に言っても『天からから必要する物は降って来ない』自助努力で手に入れよう」と言う言葉だ。これまでの私の「被害者意識」の人生だったことに気づき、ハッとさせられた。

 8年前、熊本地震で実家は「6強」に合い、風呂場は全壊、屋根・天井・壁・玄関・窓は半壊した。その後熊本市に問い合わせたら、不在の家には何の助成も出ないと分かり、非常に不満に感じた。当時は会社も業績も思わしくなく、踏んだり蹴ったりで「何故自分ばかりこういう目に合うのか」と非常に苦しんだことを思い出す。先述の「再建は自分たちの手でやるのだ」とは大違いだ。

 私の75年を振り返ってもその繰り返しの人生だった。、好調な時は「自分の力」と驕り、不調な時は「まわりのせい」と周りを責めていた。社会人になってからも見事に「好不調」の繰り返しで全く成長していない。4年前の「コロナ禍」で会社存続の危機に陥った時、私の経営は「どうも根本から間違っている」とさすがの私も猛省を迫られ、京セラ創業者・故稲盛和夫氏の著書を必死で読み漁った。そしてその原因の一つは私の「被害者意識」の強さだと、確信した。

 「成功も試練です」と故稲盛和夫氏は生前良く言われた。成功は自分の努力と才能の結果だ、と驕りが出る、いつの間にか謙虚さを失い、感謝の気持ちも失くし、自分の能力を過信し、努力をしなくなる。「神様は成功という試練を与え、その人物を試している」とは故稲盛和夫氏の「側近中の側近」大田嘉仁氏の言葉だ。私はその最たる事例だ、と正直思う。大した成功もしていないのに満足し、驕り高ぶり努力を止める、だからすぐに結果も下がり始める。「上り切ってもいないのに下り坂」とは綾小路きみまろの名言だが、全く私の人生そのもののであり、返す言葉もない。

 「コロナ禍」以来4年余、学ぶことばかりだ。仕事を通じ「自分を磨くこと」、目標は経営理念の実現:「社員の物心両面の幸福の追求と、介護業界の健全な発展に貢献すること」、さらに「目標を高く掲げ、結果が出るまで諦めずに継続すること」、「誰よりもまず私が率先して働くこと」、「社員に緊張感を持って接し、自他ともに仕事に厳しく」、「常に反省と感謝を忘れない」、「謙虚にして驕らず」、「動機善なりや、私心なかりしか」、「燃える闘魂」等々・・・ほぼ故稲盛和夫氏の言葉だが、やっと少しずつは身に付き始めたのか?、常に我が身を振り返る日々だ。・・・最近やっと数字的にその兆候が見られて来たのか、と少し安堵する。しかしそれは緒に就いたばかりで、これからが本番であり、気を緩めることは出来ない。75歳、人生の最後の勝負のステージだ、頑張ろう!


「鴨池新町からマリンポートまでの橋脚」 2024・10・20

雄ちゃんの今昔物語 VOL,119

これからは「恩送り」の人生を

 10月13日(日)は次男(ヘルスレント店長)の「末っ子長男」K幼稚園年長組のA君最後の運動会がK小学校グラウンドで行われた。長女・次女まで含めると、最初は10年以上前から始まった。昔はお弁当持参だったので、妻は孫たちに前日からほぼ徹夜で準備するのが年中行事だった。最近はコロナ禍で運動会が休止になったり、出席制限の運動会だったが、昨年からは午前中開催で再開されたので、弁当を作らなくてよくなり、ずいぶん楽になった。。

 長女HはT高校のため運動会には家族は行かないし、次女Tは小6で小学校最期の運動会だが、昨年から3部に分け実施のため、正味2時間弱で済み、あっけなく終わった。来年は末っ子長男も小1になるが、もう昔懐かしい「家族そろっての弁当の時間」は復活しない感が強い。これも時代の流れかな、ちょっと感傷的になる。

次女も来年は中1となり、祖父母とは一歩遠くなるのだろう。東京にいる長男の一人っ子長男G君も来年は小6となり、中学は受験するらし。
孫たちも年々成長し、将来巣立っていくことを考えると、いよいよ祖父母としての役目もネクストステージに入り、こうやって段々役目を終えて行くのだろう、ここでもちょっと感傷的になる。

 私的面では我が高校の同窓会では70歳代過ぎてから同級生の訃報が多くなってきた。仕事面でも、福祉用具レンタル販売をやり始めた10数年前はご利用者様は親の世代ばかりだったが、最近は70歳代の私の世代が増えて来た事に驚いている。かたやコロナ禍で一時期中止かオンラインになっていたダスキンオーナー会も、復活して見れば、すっかり世代交代して、私が最長老となって驚くんばかりだ。特に会長が40歳代になり同世代の役員で固められ、一気に若返った。

 これまでは公私に渡りお世話になった人には、いつか恩返しをしなければ、と思っていたが、そういう諸先輩はお亡くなりになったり、引退をされたりで、私より同世代以上の先輩がまわりには見受けられなくなった。こうやって世代交代して行くのが、世の習いなのだろう。時代の流れを今さらながら感じる昨今である。

 そういう時は「恩送り」だよ、と以前聞いたことがある。仏教の教えで「四苦八苦」があるがその「四苦」とは「生・老・病・死」という人間の根本的な苦しみである。
「人間は、生まれ、病を患い、老い、そして死に至る」のだから、その中で得た「恩は次世代に返して行く」つまり「恩送り」を考えて行くことはむしろ自然な流れだろう。
私もこれからは公私に渡り、これまでお世話になったことを次世代に還して行く。つまり私的面で子供や孫たちだけでなく、公的面・仕事面でも利他の気持ちで、まず社員とその家族、そしてあらゆるステークホルダーにお役に立てるようになることだろう。
齢を積み重ねるということは、単に歳を取るだけでなく、周りにお役に立てることの積み重ねなのだろう、最近強く感じる「後期高齢者」の一人である。


K幼稚園運動会(K小学校グラウンド) 2024・10・13