元気通信#142 立つ鳥、跡を濁さず!

 あっという間の11月、私は新栄町の移転で終始した1ヶ月だった。弊社の営業担当は土曜日には手伝ってくれたが、後は人材派遣を週数回入れたり、私の妻(専務)やメンテ担当の派遣A氏にも手伝っていただき、何とか移転を無事完了した。私が1ヶ月営業に出なかったのはこの4~5年無かったが、終わってみれば少人数でもやれるものだ、と自信がついた。

 メンテ室や返却庫を作るのは息子の店長が「住宅改修」の腕を駆使して、一人でやり遂げた。東開町の旧社屋については「立つ鳥跡を濁さず」の精神で、11月20日過ぎからは専務が入り、引渡し前の3日間は私も入り毎晩遅くまで床のテープ跡や壁や、差し上げる什器や机を磨き、11月27日、無事「引き渡し」が出来た。今回は極力自分たちでやった「手作りの移転」だったと誇りたい。

 事務整理については前社員Mさんが何度も応援に来てくれて助かった。仕事の内容も良く知っているので、手際よく分かりやすく収納してくれ、本当に感謝しかない。いろんなことがあった東開町での8年間だったが、最後は良い形でけじめをつけることが出来た、と思う。

 そして12月に入り、新栄町でのスタートだ。東開町の反省を踏まえ、6つのことを肝に銘じて活動したい。1つ目は「現場に答あり」、悩んだ時は、トップ自らが現場に率先垂範して行動すること。判断の基準は「利己でなく利他」「損得でなく善悪」。後は徹底的に知恵を絞り、汗をかくこと。

 2つ目は「嫌なこと(クレームや会社の危機)にも真正面から身体を張って解決にあたること。これがトップの姿勢なのに、経営者になって20年、嫌なことから避けてきたと反省する。会社のため、従業員のため、家族のため、来年「72歳の年男」の命を捧げるつもりで取り組みたい。

 3つ目は「先利後資」の経営。つまり、先ず利益を出すこと、出した利益から「人・モノ」に投資すること。コロナ禍の厳しい環境でも自分を磨き、社員を育て、現状で生産性を高め、強い組織を作り、結果利益を捻出し、次なる求人やモノの購入を図り、更に経営資源を高めることが大原則。

 4つ目は、従業員の物心両面の幸福を実現すること。厳しいコロナ禍でも「従業員の生活を守る」と言う経営者としての覚悟を持つこと。

 5つ目は「目標・ビジョンの明確化」。ヘルスレント単独事業に舵を切り、「経営理念」が明確になった。さらにその達成のための目標・ビジョンを明確化して行きたい。6つ目は「足下の実践」、やるべきことを明確にしたら、日々コツコツと継続する。さらに日々反省を重ね、創意工夫して知恵を絞り汗をかき、目標を達成すること。・・・これがまた1つ目につながる。
 第2の「3段跳び」、今後5ヵ年を位置付け、必ず「強靭な会社」を作り、真に社会に貢献します!


かごしま環境未来館
2020年11月29日

雄ちゃんの今昔物語 VOL,76

「THE BEATLES(ザ ビートルズ)」

 12月8日は「ジョン・レノン」の没後40年だった。当時私は31歳、縫製のスキルを学ぶため京都に約1か月の研修中で慣れない仕事に四苦八苦していたころだった。「まさかあの有名人があっけなく銃弾に倒れて亡くなる」、私の人生では、ケネディ大統領・ロバート・ケネディの暗殺以来の衝撃だった。

 私がビートルズを初めて知ったのは、1963年・14歳・中2の秋だった。「イギリス出身の4人組のロックバンドがアメリカで大人気」「音楽と声援がうるさくて、まともな音楽ではない!」というような評価とともに、日本のテレビ・雑誌の話題になった。当時は「日本語でカバー」した和製ポップスが好きだった私、好きな歌手はバラード系のナット・K・コール、パット・ブーン、若手ではクリフ・リチャード、だからうるさいロックには初めは冷ややかな目で見ていた。

 転機は翌年の「東京オリンピック」直前の夏休み、「ビートルズがやってくる!ヤァヤァヤァ」というビートルズのドキュメンタリー風映画の見た時だった。「ただものではない」音楽性のすばらしさと今までのスターにはない人間臭さと親しみやすさで、一気に「ビートルズ」のファンになってしまった。当時姉が買ったステレオで、主題歌「ハード・デイズ・ナイト」や「恋する二人」のドーナツ盤を買って四六時中ずっと聞いたものだ。

 大学時代後半、熊本で夜のクラブのジャズバンドで歌っていたころのステージの空き時間、音楽談話で盛り上がり、私がジョンレノンの「A Day In The Life」をジョン張りに歌っていたら、仲間が冷やかし半分「ジョンに似てる」と言ったら、そのまま「ジョン」といわれるようになってしまった。・・・数十年経った今でも、当時の仲間と会えば「ジョン」と言われる。

 よくビートルズ談義で「ジョン派かポール派」かで華が咲くが、私は「ポール派」と言えるかもしれない。彼のメロディラインの美しさや親しみやすさは天下一品だ、「Elenor Rigby」や「Fool On The Hill」「Norwegian Wood」は大好きだ。

 逆にジョンは渋く、シンプルで、魂に訴えるものがある。さらに「ヨーコ」との出会いでさらに深められてきた、と言えるだろう。「ヨーコ」については世間(特に欧米)では評価されていないが、アジア系への偏見も大きい、と思う。しかし最近の「ジョンとヨーコ」のテレビ特番を見て、改めて「ジョン」の中の「ヨーコ」の存在が大きかったことを感じる。

 特に生前3人(ジョンとヨーコと息子のショーン)が日本に来て日本庭園を散策したり、俳句の5・7・5の削ぎ落された感性美、「ワビさび」の世界を知り、日本文化に傾倒したことを知り、そう思う。名曲「Imagine」の詩の美しさと誰にも受け入れられるシンプルさはその結晶美だと思う。「Imagine」以前のヨーコの詩にそっくりのフレーズがあり、現在は名曲「Imagine」は「ジョンとヨーコ」の合作と言われていることに、納得する。

 第3の男「ジョージ」はビートルズの解散前後、一気に華を開き、「Something」や「My Sweet Lord」のヒット曲を連発し、才能も2人に負けないものがあると思った。ハンサムな顔立ちで、私も長髪でジョージを真似ようと試みたが、「岸部四郎」と言われて、愕然!

 あれから50年、2020年「コロナ禍」で世界中が混乱する中、「Imagine」がよく歌われているのを知り、大変な時こそ歌に力をもらって、頑張れる原動力になるのだな、と感動するとともに、「The BEATLES」をリアルタイムで見て育った私たちは幸せだな、と思う。

 また、今年はコロナ禍で全く介護施設のイベントは皆無だが、昨年12月は、10数か所の介護施設で「ELVIS JOHN 小林」ショーで「クリスマス会」に出演、ご利用者様や介護スタッフの方たちに喜んでいただいた。この芸名も「ELVIS・PRESLEY」「JOHN・LENNON」から拝借したものだ。

 またワクチンの開発も間近となり、「コロナ禍」が終息した暁には皆様にもっと喜んでいただけるよう、のどを鍛錬し、体力を維持したい。・・・皆さん、その時は 乞うご期待! 


書斎を飾る「BEATLES・ABBEY ROAD」ポスター