元気通信#155「潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望」

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。心より御礼を申し上げます。本年はさらに皆様のお役に立ちますよう、迅速・一意誠心・継続を心掛けてまいります。本年もお引き立てを賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

一昨年は「コロナ禍」に翻弄された1年でした。弊社もその直撃を受けたが、幸いにも、早期にレントオール事業撤退の決断、その後の譲渡・売却・移転という会社の大きな節目を、予想以上にスムーズにことが運び、過去の重荷を一掃してくれた。これは「1つの自力(トップの率先垂範・現場主義と、社員が心を一つにして努力してくれたこと)と、2つの他力(関係ある方々のお力添えと、大いなるもの「天・神仏・宇宙」の啓示)であると感謝しています。

移転後新たなエネルギーが湧き出し、早速「経営理念」を作成し、「10年ビジョン」を掲げ、昨年は「新生YTSフレックス」1年目をスタートした。「ダスキンヘルスレント鹿児島ST」だけの単独事業で、従業員は7~8年前の3分の1に減った。移転後に採算の目途をつけ、4月から求人活動に入った。「念ずれば花ひらく!」(四国の詩人:坂村真民)とはこういうことなのか、M社員の復帰が実現し、その後の活躍で会社に大きな力となっている。

良いスタッフに恵まれチームワークもまとまり、日々積極的に活動し、訪問数・点検数は格段に厚みを増してきた。さらに営業会議の質を高め、販促ツールを充実し計画的に配布した。初めての試みで、地域包括支援センター様に担当を一元化し、事業に適ったきめの細かな営業活動を展開し始めた。それから早や3か月、伸びは見られるが、まだ計画どおりには行っていない。

稲盛和夫氏経営12ヶ条の第3条に「強烈な願望を抱く」のサブタイトルに「潜在意識に透徹するほどの、強く持続した願望を抱く」がある。潜在意識とは顕在意識と違い「意識の下に沈み込んでいて、意のままにコントロール出来ない意識」であり、自在に活用するには、「強烈な体験をする」か「繰り返し繰り返し何度も経験すること」だそうです。

私の過去の失敗は「努力を怠り、潜在意識に透徹する前に諦めて、目標の下方修正を繰り返した」からだ。今回は「過去の自分」と決別し「絶対に諦めない自分」を確立をする初のチャンスである。まず、その目的が「利用者様やケアマネさんたちに、あるいは広く介護福祉業界に真にお役立しているか」を問い続け、正しさを確認しつつ、「積小為大」(元気通信:12月号)を実行し、創意工夫・鋭意努力を積み重ね、目標達成するまで努力し続ける覚悟です!


令和4年元旦 初日の出 in 与次郎

雄ちゃんの今昔物語 VOL,89

昭和30年頃の「年末年始」(2020年2月リメイク版)

もの心ついた昭和29~30年、5~6歳だっただろうか? 1年のうちで最も楽しく特別な日で、日本中がその「正月」だけは日常とガラッと変わる日である、と気づいたのは・・・。

まず年末になると、ご近所同士(隣保)で一斉に家の大掃除をやったもんです。床から畳を上げ外に日干し、障子紙の張り替え、昔ながらの土間や便所から、押入れ、各部屋の清掃から、古本等の整理、ゴミだし。新聞紙は切って(ティッシュ代りに)お尻ふきに使っていたから、古本と共にゴミに出すことはほぼ無かった。

いつ父のボーナスが出ていたのかは知る由もないが「もういくつ寝るとお正月」と言うくらいになると、繁華街「下通り」の熊本一の百貨店「大洋」に行き、ズボン・靴・ジャンバーから下着まで買ってもらい、お正月になるまでは部屋の一角に飾っていたものです。

父は徹底した「無神論者」だったので一緒に墓参りに行くことはなく、母が私を連れて花岡山の小林家の墓と、龍田山麓の母の実家伊藤家の墓に行っていました。

正月になるとどの店も休みだったので、各家庭が最低正月3が日分の料理を大みそかまでに作るので、母は一人でてんやわんやだった。姉も手伝っていたのでしょうが、私は男だったので、台所の様子はほとんど覚えていない。

父は、日用品雑貨の卸問屋「T商店」の経理・総務をやっていたので、大晦日は営業の集金を終えてから業務終了、帰宅は除夜の鐘が鳴って「午前様」だったようです。

こうして年内に済ませるものは済ませ、いよいよ待ち遠しかった「お正月」がやってきた。朝目が覚めると、いつもは騒がしい下町・本荘町の路地裏の住まいも静寂、世の中は「お正月」に一変。いつもの日曜日なら朝から子供たちのうるさいぐらいの遊び声が聞こえてくるのだが、今日からは静かで上品な「お正月」のスタートです。

いよいよ元旦になって初めて袖を通し、靴をはいたまま外に跳び出し、外出していた。昨日までのフセ(今は死語?)のあたったズボンや靴下や、穴のあいた靴をはいた「ハナタレ小僧」だが、一夜にして「良家の坊っちゃん」に変身する瞬間だ。

父は正月でも「普通のご飯でいい」と言う人なのですが、元旦の朝だけは全員で唯一の「お雑煮」を食べました。父以外は「神棚・仏壇」にお参りして、母の音頭で小さい声で「明けましておめでとうございます」。父は「正月だけんて、何が目出たかもんか!」と頑固だった。正月だけは飲むのが許された「お屠蘇」は美味しくて隠れて何度も飲んでいた。

遅い雑煮を食べ終わると、新調した洋服・靴を履いて、父と共に会社に「年始の挨拶」です。「T商店」は「萬町」にある戦前から続く老舗卸問屋の「会社兼社長宅」で、店先の事務所を抜け、中庭のある廊下を抜けると、奥に社長のお父さん(先代社長)の部屋があり、社員たちが大勢子供を連れ「年始の挨拶」です。子供たちの目当てはもちろん「お年玉」。神妙な顔で挨拶をしてお年玉をいただくと、その後は子供たちは2階の大部屋に連れて行かれ、子供同士で雑煮とかおせち料理やおかしを食べたり、本を読んだり、一緒に遊んでいた。その間、社員たちは1階の離れで、酒が入って賑やかな大宴会となっていた。

夕方になってお開きになると、春竹町の叔母(父の妹)宅へ。早速叔母さんが私に「お年玉」を上げようとするのだが、父は「よか。うちもやらんから」と押し問答。「オイオイ、僕はどうなるんだ!」結局「僕のお年玉」は水泡と化した。頑固な父のせいで、私ばかりか、従兄弟のFちゃん、Hちゃん「幻のお年玉」となってごめん。

こうして元旦はあっという間に終わった。2日からは父は出社、昔の会社務めは過酷だった。私は新調の服を着て母方の実家に行ったり、帰ってからは雑誌の付録の「福笑い」や「すごろく」「かるた」をして3が日遊んだものです。


昭和31年元旦・会社前で、T社長ご令嬢2人と一緒に。
父から引き寄せられて「苦しか!」