元気通信#166「反省ある毎日を送る」 

  最近、最も心掛けていることに「反省ある毎日を送る」がある。これは今年8月鬼籍に入られた稲盛和夫氏の「6つの精進」の一つである。私は毎朝仏壇で「般若心経」「ダスキン悲願」「四弘誓願」「6つの精進」「座禅和讃」を読経をする。その時、前日の反省を書き出し、私の「心の庭を浄め、今日の新たな誓い」を立て、実践するように心がけている。・・・しかしまだ身についていないのか、判断する時点ではまだ「低次元の自我(煩悩)」が先に出て、また反省する。恐らく生涯を懸けて学び続けることになるだろう。

 ところで煩悩には「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」と言う「三毒」があると言われる。平たく言えば「貪欲・怒り・愚痴」のことである。煩悩は人間が生きて行く上では無くてはならないものである。しかし社会生活を営む私たちが煩悩のままに突き進んでは周りとの衝突は避けられない。・・・私の人生を振り返ると、まさに「三毒」そのものだった、と猛省する。何度も障害に突き当っては、相手のせいにして的確な判断が出来ないまま、さらに新たな障害が・・・の数十年、繰り返しでの連続で現在に至る。現在73歳、遅きに失するかもしれないが、今からでも「反省ある毎日を送り」、「高次元の自我(利他)」を目指し、一歩ずつでも前進したい。

 それでは「高次元の自我(利他)」はどうすれば持てる様になるのだろうか。・・・「人間は、いくら高尚なことを考えても放っておけば、瞬間瞬間で本能が持つ煩悩で物事を考える」と故稲盛和夫氏は「人間の本質は弱い」と強調される。だから「低次元の自我(煩悩)を理性で抑えることで、心に隙間が出来、その隙間に低次元の自我と対極にある、高次元の自我“美しき善き心”“利他の心”が芽生えてくる」と言われる。・・・「よし!私も出来る!」とすごく納得した!

 介護保険改定(改悪)で「ケアマネジメントの有料化」と「要介護1~2の総合事業移行化」が先送りの方向だ。ある居宅のケアマネさんが「一部のケアマネが利己的なことを行い、国がそれを盾に“性悪説”で規制を強めているのではないか?」と言われた。確かに過去に「上限価格」が始まったのも「外れ値」対策からだった。今後国に規制させないためにも、私たち介護従事者は「真に利用者のために介護保険制度はどうあるべきか?」を考え、また国(財務省・厚労省)も、介護保険制度維持のために目先の収支で制度改定を図るのではなく、長期的視点から「真に利用者のためになるか?」を判断の基準にして欲しいものだ。今まさに「低次元の自我」から「高次元の自我」への転換が、私たち介護従事者にも、国(財務省・厚労省)にも求められている。
 私たちは常に「真に利用者にとってどうか?」を判断できるよう、反省ある毎日を送りたい!


ふれあいスポーツランド(中山町) 2022・11・25

雄ちゃんの今昔物語 VOL,100

戦後昭和の風景と今の課題

 昭和24年生まれの私は、記憶が鮮明になるのは昭和30年ごろ。当時本荘町と言う少し荒っぽい下町で、住宅と商店が密集して、子供たちに溢れ、いつも声が飛び交い、自転車、リヤカーが騒がしく、牛馬も多く見られた。6歳で徒歩15分ぐらいの白川沿いの熊本市立幼稚園に通い、7歳から徒歩5分の本荘小学校に通った。熊本市の中心街にも徒歩15分ぐらいで歩いて通える便利な環境で育った。

 当時は近くの白川もきれいで、小学校にプールがない時には遊泳が許されたそうだ。私の小1にプールが完成してからは、遊泳禁止となった。級友のM君は白川で魚を素手で取り、夕食で食べたり、近所に売ったらしく、ワイルドで逞しかった。

 昭和33年(小3)、下町本荘から住宅地・壺川に引越し、あまりの静寂さに驚いたが、母や姉はプライベートが守れる環境を喜んでいた。当時は側溝にはドジョウやオタマジャクシが元気に泳ぐほど側溝もきれいだった。

 昭和30年代後半、洗濯機が普及し中性洗剤が当たり前になってから、側溝や川が汚くなり、生物が絶滅するばかりでなく、悪臭が漂い、壺川小学校の脇を流れる坪井川の悪臭が教室まで臭ってくるようになった。白川も同様、臭い川に変身した。


画像引用:「熊本電鉄」

 当時は水洗トイレはなく、汲み取り式便所がほとんどだった。昔は田舎の農家から汲み取りに来られて、それを肥しにされていたが、それからバキュームカーによる汲み取りに変わった。その時は悪臭が町内に漂い、鼻をつまんで一目散に通り過ぎた。

 昭和40年代(高校・大学時代)に入ると、大都会の工業地帯を中心に、工場では排水や煙で、工業下水の垂れ流しや光化学スモッグという公害が大問題になる。川だけでなく都市周辺の海も汚染され漁業も大打撃を受け、夏は大都市圏では「光化学スモッグ注意報」なるものが天気予報をにぎわせた。

 私が社会人となり昭和50年代から先は、国をあげての公害対策で、空と海と川はきれいになって、生物が戻ってきているが、環境問題は「CO2による温暖化」で世界を上げて待ったなしの状態だ。誰がこういう事態を50~60年前に予測しただろうか。「大量生産・大量消費」の付けが回ってきた。

 昭和30年代を単に「ノスタルジック」な「良き時代だった」と感傷に浸ってばかりはいられない。当時をテーマにした映画や写真では、当時の臭いは再現されないが、後進国や災害地域の悪臭は昔の再現であり負の側面も知るべきだ。文明発達の代償は大きく、環境問題のつけを次世代に回すことなく、今、私たちの時代で解決すべきだと思う。