元気通信#148「月次決算報告・販促会議」

 昨年ダスキンレントオール事業(以下RA)を撤退して、残ったダスキンヘルスレント事業(以下、HR)になって初めて迎えた新年度も1か月経ち、4月の月次決算が出た。当初の予算に比べ、売上・経費共に少なかったが、予算に比べたら良かった。しかし昨年同期、コロナ禍で最悪の経営環境の頃に比べたら、こんなにすっきりとした決算書を手にすることができたことも、感謝したい。そしてこれからが強靭な会社を作り、経営理念を実現する正念場だ!

 このすっきりした4月決算書とにらめっこしていると、いろんなことが頭をよぎることに改めて驚いている。現在の問題点・課題とその対策がにじみ出てくる。今やるべきことは「売上を上げるために、戦力強化する」・・・具体的には「増員(量の拡大)」と「月次決算報告・販促会議」と言う「JOB・T」の実践による「質の充実」である。

 「販促会議」は幹部社員から出た提案を採用したものだ。これまでは販売ツールが来たら、朝礼で報告して、各自持って出る、ということでバラバラ感は否めなかった。これを可視化して、全員がベクトルを合わせる「JOB・T」の実践の場が、販促会議であろう。

 そこに、4月月次決算が前日に上がってきた。出来立てほやほやの月次決算を発表することで、最新の会社の情報を全員が共有できる、と思い、5月の販促会議の前に入れ込み、会議を1回で済むようにした。これが「月次決算報告・販促会議」の経緯である。早速「減価償却」についての質問が飛んだ。それに対して一つ一つ丁寧に応えることで、私たちにも勉強になる。ぜひこれを継続して行けば、さらに良い気づきを得られるかもしれない。

 最後に私個人の課題とその取り組みを明確にした。例えて言えば福祉用具業界の「三浦知良」・・・つまり「鹿児島最高齢の現役営業マン」を3年(75歳まで)続けること。「量」では毎月200件の居宅・包括・医連の訪問。「質」ではコロナ禍の中でなかなか皆さんと会う機会が減っている中で、いかに「ケアマネさんとの絆を強くできるか?」という命題だ。現在は「ケアマネさんの名前を覚えることと、当日挨拶した人に「要点」を分かりやすくまとめてお礼状をFAXにて送付することを心掛けている。この活動継続のためには健康が第1、規則正しい生活と毎日40分ジョギング(日曜は3時間サイクリング)等は欠かせない。

 コロナのワクチン接種が話題になっているが、私たちはコロナ禍はまだ続くものと心得、その中での課題には一つ一つ真剣に取り組んで行くしか道はないと心掛けたい。


甲突川から中央駅を望む
2021年5月

雄ちゃんの今昔物語 VOL,82

熊本市立幼稚園(2010年9月のリメイク版)

 熊本市立幼稚園に入園したのは、昭和30年4月。当時、幼稚園や保育園に行けたのは6歳児の半分ぐらいいただろうか?我が家は決して裕福な家ではなかったが、両親が教育熱心だったからでしょう。私は近所のお寺が経営する「M保育園」に入りたかったのだが、当時歩いて20分かかる、白川対岸にある「熊本市立幼稚園」に(当時はベビーブームのため、くじ引き入園)当選して入園した。

 入園前日、母にいつもと違う床屋に連れて行かれ、短く「スポーツ刈り」に刈られてしまい、お気に入りの「坊ちゃん刈り」でなくなったショックで、床屋から出たとたん、泣き叫びながら母に抵抗した。入園当日も機嫌が悪く、記念写真にはネクタイを締めておしゃれしているが、顔はブスッとふて腐れて写っている。それ以降は近所のT床屋で、必ず「いつもの坊ちゃん刈り」を指名した。

 当時の男児は「丸坊主」、女児はうなじをバリカン刈りした「オカッパ頭」が主流だったが、この幼稚園では「坊ちゃん刈り」が多く、やはり熊本市商店街の「町の子」が多かったのだろう。女児の「オカッパ頭」は独特の髪型で(今から思えばちょっと変だよね)この当時は主流で、「長い髪の少女」が居ようもんだったら、どこか映画上でしか見られない別世界の「超お嬢様」だった。小学校低学年まで「丸坊主」「坊ちゃん刈り」「オカッパ頭」が主流で、漫画「サザエさん」の“カツオくん”、“わかめちゃん”、“たらちゃん”が当時をそのまんま反映している。

 幼稚園では、私は良く言えば社交的でみんなのリーダーだったが、悪く言えば自分の好きなことだけに一生懸命になり、人の面倒見も自分中心で「小さな親切、大きなお世話」の類なのか、度が過ぎて良く喧嘩していた。幼稚園には先生に好かれる良い子が多かったせいか、先生にはいつも睨まれていた「ガキ」だった。

 夏休みは終わるのが小中学校より1週間早く、兄弟で一人だけ幼稚園に行くのが嫌で、2学期の初日にはしぶしぶ母に連れられ登園した。余程行きたくなかったのか、一旦幼稚園に預けられたものの叱られて家に逃げ帰り、母に連れられ幼稚園に行って(母が帰った後)またこっぴどく叱られ、ほっぺをたたかれた記憶がある。こう思ったら絶対言うことを聞かない、扱いにくい園児だったんでしょうね。

 スポーツは得意で、運動会の「かけっこ」は断トツの一位だったが、それ以外はこれと言って人前で何か特別なことをしたことは記憶にない。音楽会も最後尾でカスタネットだった。やはり、M先生には好かれてなかったのだろう。M先生は年長組の担任で他のクラスの先生より年配で厳しく、他のクラスの若くてきれいで優しい先生が羨ましかった。

 鮮明に覚えていることがもう一つある。冬のお散歩の時間に幼稚園の近所をみんなで手をつないで歩いていた。歩道の脇に大きな側溝がずっと続いていたが、その側溝が茶色で「土」に見えてしまい、他の園児と「水だ」と「土だ」の言い合いになった。「土」を主張した私は、証明しようと思い、思い切り側溝に足を踏み出し、全身汚水まみれになってしまった。それから後はどうなったのか覚えていないが、恐らく大変だったのだろう。近所のN魚屋の電話に取り次いでもらい、母が着替えを持って幼稚園に走ったと、後で母から聞いたが・・・。

 熊本市中心を流れる白川代継橋と長六橋の間の公園と慶徳地域コミュニティセンターに建替わり、幼稚園の面影はない。60数年前に駆け回っていた記憶が鮮やかに蘇る


昭和30年10月 幼稚園・運動会かけっこ
笑顔で「一等賞」 6歳の私