元気通信#158「利を求むるに道あり」
最近、2024年介護保険法改定に向け、「福祉用具貸与の一部を販売」に移行し、ケアマネジメント(以下CM)報酬不要や、貸与のみの場合CM報酬引下げの話が業界を席巻している。ほとんどの居宅介護支援事業所(以下居宅)のケアマネさんたちは「ケアマネは不要なのか」「ケアマネに明日はない」と不満が爆発している。しかしある居宅オーナー様は「良い方向だ」と言われ、一瞬驚いた。介護業界にも、日本全体にも良い方向だと言われ、「なるほど!」と感動した。
国の財政逼迫化、介護保険の永続性のため、「CM報酬」引下げや「軽度福祉用具の一部販売」が俎上に上がるが、そう考えると国の主張にも一理ある。「公正中立性」の観点からも「同一法人による事業の囲い込み」の実態はいかがなものか?中小業者の立場からは?マークが付く。2年半前、その弊害の一つ「外れ値」対策で「上限価格」が制定された経緯があるが、国ももっと問題点にもっと切り込むべきだし、私たち業界としても、これまでの既得権を守るのではなく、「利用者の自立支援と重度化防止」を第一に考え、もっと社会を広く俯瞰することが大切だ。
「利を求むるに道あり」・・・利益の追求に当たっては守るべき道がある。その道こそが人間として正しいことを正しいままに追求することです。・・・と言われるのが京セラ創業者・稲盛和夫氏だ。経済学者アダム・スミスは「そこに見えざる神の手が動く」と言いました。自由経済の中で正しい競争が行われる状態だと、どんなに悪い商人が暴利をむさぼろうと思っても、むさぼれなくなる。決して暴利をむさぼらないという経営者のモラル、道義、倫理観がとても大事です。
暴利をむさぼるような仕組み、「独占・談合・規制・前例主義・既得権益・売り惜しみ」等は排除されなければならない。介護事業所の約9割が他の介護サービス事業所を併設していて、「上司から自法人のサービス利用を求められた」と言う経験を見聞きしたケアマネジャーが約4割いると言う財政審の調査を聞けば、この「囲い込み」は「利用者様の希望を優先する」ことに反しているのではないだろうか?過去、居宅をされている事業所が福祉用具貸与事業を始められ、弊社の利用者様の福祉用具を引上げさせられた「忸怩たる経験」を思い出す。
私もこれからは、「利を求むるに道あり」を心に抱き(既得権に胡坐をかくことなく)さらに切磋琢磨して強靭な会社に成長し、社会に貢献し、社会的公正さと、人間としてどうあるべきかをしっかりと考え、自分の仕事に誇りを持てるように、凛とした姿勢を貫きます。
2022・4・3
「日新公いろは歌」と桜花 甲突川左岸
雄ちゃんの今昔物語 VOL,92
「元気通信」の原点は?
「元気通信」をスタートして早や14年になります。はじめは母の死に対して「皆さんに伝えたい」と居ても立ってもいられない強い衝動に駆られ、葬儀にご参列された皆様へのお礼状を出したことがスタートになります。
・・・以下、2008年6月25日の内容
33年前父が亡くなった後、母は一時は悲嘆に暮れましたが、元来、文学・短歌・習字・詩吟と言った習い事が好きで、次第に落ち着いてからは、習い事がライフワークとなり、さらに時々海外・国内観光にも行き、充実した老後を過ごし、悔いはなかったのではないでしょうか。
母はおっとりして優しく、自分から一歩も二歩も引いてしまうような女性でしたが、私の教育には熱心で、私のことを勝手に「希望の光」と呼び、息子として何度もプレッシャーに感じたこともありました。しかしそのプレッシャーがエネルギーになって、ここまでやって来れたような気もします。独立して苦節7年、経営する会社もやっと軌道に乗り、もう少しで「母に胸を張って報告できる」会社が出来たのに、と思うと残念です。両親とも亡くなり、毎日仏壇を前に考えることが多くなってきました。その中で、両親からいただいた「体力、気力、知力」があればこそ、今頑張って仕事ができること、両親に新ためて感謝します。
次は私たちが「親」としてわが子たちに、この「体力、気力、知力」を子々孫々に伝える役目だけでなく、「一経営者」として、社員に対しても親子同様に接し、「自立できる社員」に育成し、社会に立派に通用する「体力、気力、知力」を伝えていく責任を感じています。これからもこの「通信」を通し、あるいは、朝礼、ミーティング等を通し、「経営理念」や「私の生き様」を出来る限り皆様にお伝えしたいと思います。
その1年足らずで初孫の誕生、亡き母の1周忌を前にして、社外のお取引先や親戚・友人にもこの通信の輪を広げたのが今の原形になります。
・・・以下09年4月吉日の一部
亡き母の49日忌は親せきが10数人集まり、7月15日(熊本市では“お盆”)の初盆を兼ね、熊本の実家の近くの明専寺(亡き父の葬儀があったお寺)でお経をあげていただき、近くの割烹でこじんまりとした食事会を催しました。それから全員で「花岡山」の小林家の墓地に納骨に行きましたが、その直前、母の願いでもあった「本妙寺」にまわり、本妙寺の境内から下に続く長い階段に向かい、眼下に見える「熊本の街」に亡き母の骨壺を掲げ、しっかりと母の子である私の目に焼けつけるようにしばし静止しました。それから花岡山に向かい、母と永遠のお別れをしました。
人の生と死は人生最大の出来事である。特に33年ぶりに肉親の死に接して、私は大きなインパクトを受けた。肉親の死は捉え方では、子供にとって自立を促す最後のプレゼントかもしれない。あれから10数年、あまり成長出来ていない私は、まだまだ修行が足らずに心が定まらない。「心を高める、経営を伸ばす」経営を通して、感謝と反省を積重ね社会のお役に立ち、いつの日か両親に胸を張って再会したい。
2019・12
「本妙寺」石段から眼下に熊本市を臨む
私は前列中央