元気通信#153「状況妄動型人間」から「人間たらし」へ

 稲森和夫(京セラ名誉会長)氏が塾長の盛和塾の鹿児島後継塾「盛経塾」に入会して早や半年、ZOOM開催もあり、ほぼ出席できている。また「機関誌マラソン」という「盛和塾」機関誌を毎週1号ずつ読んで、感想文を毎週月曜に提出しあい、8人グループでの学びの場としている。

 この機関誌は1992年4月から始まり、2019年11月の156号で終刊となった。私は10月からスタートして、現在第5号を読んでいる。機関誌の塾長講話や座談会の中では、本音トークがさく裂し「剛速球」が投げられ、大きな衝撃を受けている。塾長の本をほぼ読破したつもりでいた私だが、ただただ驚くばかりだ。人生に「if」は無いが、もし創業時の20年前に入塾していれば、塾長の生の声を聞けて学び、正しい判断を身に付け、もっと経営を良くできたかもしれない、とちょっと悔やまれる。

 この第4号の塾長理念で「状況妄動型人間」が語られたが、まさしく私のことを指摘されていた。「状況妄動型」とは、「こうしたい」と思ったけれども、社会情勢、経済情勢などから見れば実現困難だ、と思いを諦める人のことです。私の経営者人生20年は、計画を立てるが目標どおりの実績を出せず、徐々に下方修正して最後は消滅してしまった苦い経験の繰り返しです。

 今期21期当初作成した「10年ビジョン」は弊社のリスタートを飾るビジョンだが、これまでの反省から「強烈な願望を抱き、諦めない。あらゆる方法を考え創意工夫を重ね、絶対に実現する」と心に誓いスタートした。上期は厳しいスタートだったが、9月からはMさんが復帰し、社内がさらに明るく和やかで、緊張感のある毎日である。全員が良い個性を出し、お互いを尊重し合い、積極的に営業し、活動内容も量(訪問数・点検数)質(販促内容)共に大きくアップしている。必ず結果はついてくると信じ、引き続き私が率先垂範して陣頭指揮を執り、必ず目標を達成する!!

 第4号で「人間たらし」という言葉を見た。「たらし」とはあまり良い意味には聞こえないが「まわりの人を惹きつける魅力を備えた人」という風に解釈する。自分の任命した部下の問題を第三者として見るのではなく、「一人称」自分が遭遇したものとして解決にあたるということだ。これは経営者として大変難しいテーマだと思う。しかしそう気づいた今、考え方をそう変えねばならない。私は今まで前者であってが、これからは当事者となって部下と共に泥をかぶらなければならないと理解する。そしてその努力の積み重ねの先に「人間たらし」が見えてくる。「人間たらし」の道はまだまだ遠い。死ぬまでに出来るかどうか分からないが、一歩ずつでも近づいて行きたい。


2021.10 慈眼寺公園のコスモス

雄ちゃんの今昔物語 VOL,87

「大瀧 詠一」と「山下 達郎」

 1か月前、東京にいる長男から送ってきた、Blu_ray Disc「我が心の大瀧詠一」(BS・NHK)を見てから、久々に「大瀧詠一・NIAGARA SOUND」が再燃、それ以来、私のマイブームは「大瀧詠一」と「山下達郎」一色だ。
 ご存じない方も多いでしょうから「大瀧詠一」と「山下達郎」について簡単に説明します。二人とも日本のロック・ニューミュージックの超レジェンドと言っていいでしょう。大瀧詠一は50年前、幻のロックバンド「ハッピーエンド」の一人で、その中には元「YMO」の「細野晴臣」やヒット曲メーカー・作詞家「松本隆」がいる。1981年3月名アルバム・あの「LONG VACATION」を出し、その他数々のヒット曲やCMソングを作曲しているが、残念ながら2013年12月65歳で急死しました。

 山下達郎はその大瀧詠一が認め、自分のレーベル「NIAGARA・TRIANGLE・Vol,1」で紹介し、その後「SUGER BABE」を結成、その後は数々の曲を作曲し自らもヒットさせ、アイドル歌手にも提供している。特に有名なのは「クリスマスの定番」となった「クリスマス・イブ」、毎年その時期になればヒットチャートに上がる、そして今も健在、活躍している。奥様は「竹内まりあ」。毎週日曜FM「SUNDAY SONG BOOK」のパーソナリティをしているので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

 私は大学時、音楽ファン友人O君から「ハッピーエンド」を教えてもらい、それ以来・50年のファンである。2人ともその後の日本の音楽シーンを大きく牽引した影響力を考えると、すごい人たちだな、とあらためて尊敬する。そして80年代、日本は経済でも音楽でも欧米を凌いだのではないか、と思ったりしたものです。また今聞いても全く古さを感じないのは私だけだろうか?

 私の子供たちは小さい時から、小さい家に大きなアンプとスピーカーを置いて聞いていたので、2人ともよく彼らを知っているようで、先述のように長男からはTVで特集があったりしたら録画したり録音して送ってくれる。今回は昨年からのコロナ禍以来、会社を立て直すのに必死で、趣味の音楽は(”Elvis・John・小林ショー”もコロナ禍で休止状態)聞くだけ、ジョギングも健康のため軽く、とにかく四六時中仕事一筋で他は一切考えなかった時のプレゼントだけに、乾いたタオルが水を吸うように、芯から拝聴・拝見させていただいた。

 社会人となって50年、その間、就職、結婚、出産子育て、それぞれの実家の危機、夫婦の危機、会社が厳しくなると社長との確執、それを乗り越え会社を独立。さらに2人の子は社会人となり、就職・結婚・出産子育てと祖父祖母の立場。そんな中でのコロナ禍での会社の大ピンチ等々、数えたら切りがない。その時々の時代背景に「大瀧詠一」や「山下達郎」の素敵なサウンドが、私の琴線に触れ、「よし!」と、気持ちを切り替えることができた、そんな50年を懐かしく思い出す。

 その他、1980年代の日本のミュージシャンには珠玉の名作を輩出し、私もよく夫婦でLIVEに行ったが、90年代中ばごろから、ヒット曲の傾向が変わり馴染めなくなり、小室哲哉ファミリーが一世を風靡したころは、「きれいなメロディラインとは違った機械的に作られたメロディ」に何も感じなくなり、70年代~80年代を懐かしむただのおっさんになってしまった。ただ子供たちが私の趣味を良

く知っていて、 次男も勝手にCD等を借りたり、音楽のことをしゃべってくれるのは嬉しい。将来は孫まで音楽談義に花が咲けば楽しいだろうな

 私は自分の葬儀の時には私が歌った「夢で逢えたら」(大瀧詠一)を流してもらおう、と思っていたら、(ネットで調べたら)大瀧詠一氏の葬儀の時に「夢で逢えたら」が流れたそうで、同じ気持ちであることが嬉しかった。これからも仕事一筋は変わりないが、ちょっとした合間に清涼剤代わりに音楽を聞く余裕を忘れないようにしたい。


「大瀧詠一」のCD勢揃い。
他にレコード盤や山下達郎のCDも数多く存在する。