元気通信#165「知識・見識・胆識」
戦前戦後の思想家・安岡正篤氏の有名な言葉で「知識・見識・胆識」がある。「知識」は様々な情報を理性のレベルで知っていること。「見識」は「知識」が信念にまで高まったものであり、この「見識」があって初めて正しい判断ができる経営者と言える、と京セラ創業者・稲盛和夫氏は言う。・・・ここまで読んで、私はせいぜい「知識」の段階で、とても「見識」まで至らず、現在「見識」を身に着けるために、仕事を通して学んでいるのだ、と自分を振り返る。
さらに真の経営者を目指すならば「胆識」を持ち合わせなければならない。「胆識」とは「見識」に胆力、つまり勇気が加わったもの。いわば「魂」のレベルで固く信じているがために、何物も恐れないという状態です。「胆識」が備わって初めていかなる障害が現れようと正しい判断を下し、敢然と目指す方向に経営の舵を切ることができる、と稲盛氏は言う。・・・このレベルの経営者はほんの一握りしかいないと思うが、「会社の存続と従業員の幸福」のためには、経営者としてどうしても「胆識」まで身に着けなければならない。
経営12か条(稲盛和夫著)の第9条に「勇気をもって事に当たる」~卑怯な振る舞いがあってはならない、がある。まさに「胆識」を身に着けることと同義だ。昔は、嫌なことから逃げたり、穏便に済ませる自分がいた。岐路に立った時は、どうしようか躊躇する自分がいた。反対を恐れ中途半端な妥協案を出したり、部下に任せてしまう自分がいた。しかし今は「人間として何が正しいのか」という原理原則に立ち返り、「正しいと思ったら、勇気をもって事に当たる」ことが自分の大きな成長となり、会社を良き方向に導く、・・・学ぶうちに確信できた。
最近、プライベートだが、人生で大きな決断に迫られている。これは生きた学びだ、と明るく受け止めている。「動機善なりや、私心なかりしか」と「人間として正しいことを貫く」と「勇気をもって事にあたる・卑怯な振る舞いがあってはならぬ」を頭に浮かべ、自問自答の日々だ。・・それでも私の決断は基本変わらない。「粛々とやるべきことをやろう!」と腹を括っている。
「動機善なりや、私心なかりしか」「人間として正しいことを貫く」姿勢を貫けば、必ず大いなるもの(宇宙・神仏)が見ていて、正しいことに味方してくれる、と信じている。稲盛和夫氏や中村天風氏・安岡正篤氏(知識・見識・胆識)の力強い言葉のおかげであろうか。特にこれまで出来てなかった「勇気をもって事にあたる・卑怯な振る舞いがあってはならぬ」を身をもって学ぶいい機会であり、私が成長できる(見識・胆識を身に着ける良い機会)のではないか、そちらの楽しみの方が大きい。生きていることにあらためて感謝し、さらに努力して行こう!
祇園之洲公園 高麗橋から桜島を臨む 2022年10月12日
雄ちゃんの今昔物語 VOL,99
「テレビ」の変遷
私が物心がついた昭和28年ごろは、ラジオ(ラヂオ)全盛期であり、ラジオを聞きながら食事したりが普通だった。昭和32年ごろから熊本でも商店街の電気屋さんにはテレビが設置され、相撲・野球・プロレス中継があるときには街頭は人垣で溢れかえった。(右写真)昭和33年、春の選抜甲子園大会で熊本・済々黌高校が優勝した試合は、商店街の電気屋の前は人で溢れかえったようだ。
画像引用:「電化製品の歴史」北陸電設
まだ昭和33年頃は裕福な家庭しかテレビは無く、食堂・レストランでは店頭に「テレビあります」と看板が立っていて、見るのが目的で食事する人が多かった。またお金持ちの同級生の家に遊びに行き、夕方の「月光仮面」や「番頭はんと丁稚どん」を見せてもらってから家に帰っていた。
昭和34年4月、皇太子・美智子妃殿下(現上皇様ご夫妻)の「ご成婚パレード」が引き金で一気にテレビが普及した。当時はお隣のWさん宅に家族で行き「ご成婚パレード」を見せてもらった記憶がある。当時テレビは3万円と聞いていて、毎日の小遣い10円を貯めても8年以上かかることを計算して知り「我が家は無理」と愕然としたことを覚えている。
ところがそれから1年も経たない昭和35年1月、我が家にも14型テレビが茶の間の特等席を飾る日が来た。数日前に父から聞き、その日の夕方、下校したらテレビが鎮座されていた。その輝きは!・・・その感動に匹敵するものはその後無い。
画像引用:「電化製品の歴史」北陸電設
その後、16型を経て19型のカラーテレビの他、テレビは父の独占物となり、8型の携帯用を買って、風呂に入る時も持って行った。最期は、癌で入院した大学病院でも父のベッドの脇に置かれていた。
画像引用:「電化製品の歴史」北陸電設
結婚後、テレビとの生活も子供たちが幼稚園・小学校に入った頃からVHSビデオテープ、VHSデッキが普及する。当時ダスキンレントオール(RA)の仕事で、取り扱いが多く、当時一式数十万するビデオカメラはまだ珍しく、幼稚園運動会では重い肩掛け器具を付けての撮影は数名いただろうか?スマホで一斉に撮影する現代とは隔世の感がある。
昭和から平成の時代は、ホテルやセミナー会場にはモニターテレビ映写音響(AV))設備も完備されておらず、RAのAVは引っ張りだこだった。また4階建てビルではエレベーターも無く、何人かで手運びしたり大変だった。その後新築ビルやホテルにはAVは完備され、RAの出番は激減。ビジネスチャンスの変遷は目まぐるしい・・・時代は変わる!
最近は「テレビなしでもスマホがあれば」と言う時代に突入したようだ。「スマホ」の先に何が出現するのか?スマホやPC操作に介助が必要な私が、その先を心配するものでないかもしれない。日進月歩、時代は日々確実に変化し、ハードだけでなくソフト、社会の仕組みも目まぐるしく変化する。経営者は立ち止まってはならない。仕組み・組織・理念まで含めて考えることが必要だ。老兵の引き際も考えなくては。