元気通信#171「JOB・T」の実践「小善と大善」

 弊社の「経営理念」の下に「行動指針」がある。3つの「行動指針」に添って行動し「経営理念」を達成しようと言うものだ。その3番目に「JOB・T」を基軸として、とある。J(情報の共有)、O(思い・価値観の共有)、B(ベクトルを合わせる)、T(チーム一丸)を基軸に、強靭な会社に変貌しようと言う、会社の熱い思いを表現したものだ。

経営理念を作って2年余、まだその達成には程遠いし、近づいている感じはしない。良く言えば、行動指針の2つ目の「互いを尊重し合える企業風土」になるかもしれないが、それで業績が変わらねば「馴れ合いの甘い組織」と言えるだろう。今期はこれを打破して「JOB・T」、特に「思いを共有し」「ベクトルを合わせ」、個人よりも「チーム一丸」を優先する方針を打ち出した。

現状の経営資源をフルに活用して、サービスの付加価値を高める。また生産性を高めるために、その指標として、初めて「時間当り採算制」を導入し、これを限りなく高めて行きたい。営業や点検担当者にもそれぞれ「新規獲得件数目標」「点検件数目標」を掲げ、達成するために、CW(クリエイトウィークリー・週間ミーティング)でリアルタイムに現状を報告し把握すると共に、CM(クリエイトマンスリー・月間会議)で達成するための創意工夫をし、チーム一丸となり活動する。

4月に入り、営業担当者は徹底した「商品デモ・勉強会」を「居宅介護支援事業所」や「地域包括支援センター」にお願いし実施している。これまで静かだったダスキンの営業活動が「おや?今期はダスキンは気合いが入っているな!」とケアマネさん達に感じていただいているのではないだろうか?・・・とにかくケアマネさん達にダスキンを身近に感じていただける様に、商品デモだけでなく、手を変え品を変え、積極的にアプローチして行かねばならない。私は彼らが活動しやすい様に、ある時は前面に出て、ある時は後方からバックアップして行きたい。

「小善は大悪に似たり」「大善は非情に似たり」・・・これは昨年亡くなられた、京セラ創業者「稲盛和夫氏」の有名な言葉だ。小善とは例えば「子供を甘やかしたことで、自立できない大人にしてしまう」如く、大善は「子供に厳しく教育することで、自立した大人に成長する」如く、私は大善のために社員に接して行きたい。それが社員教育というものだろう。

しかしその前提には、経営者の「心を高める」努力が必要だ。日々「誰にも負けない努力」をしているか?、「動機善なりや、私心なかりしか?」と、私利私欲ではなく、世のため人のためにお役に立つことを常に考え行動出来ているか?日々我が身を振り返り、反省して行きたい。


2022・11 慈眼寺公園のコスモス

雄ちゃんの今昔物語 VOL,105

叔母や従兄姉たちへ、そして「青春」

 もうこの10数年、私は年賀状や暑中見舞いをわざわざ作成することが無い。その理由はこの「元気通信」や「雄ちゃんの今昔物語」を年賀状代わりに送っているからだ。仕事関係者はもちろん、親戚関係にもこの通信を送っている。私の父方は、6人兄弟の5番目のため、父方の叔父叔母は既に全員他界して、従兄姉たちも上は90歳を超え、80歳代ばかりで、私が最も若い(私も4月28日で、満74歳になった)。

片や、母方(伊藤家)は、10人近く(小さい時に死亡?)兄弟がいて、母は2番目の長女のため、叔母が90歳代で2人健在だ。従弟妹に至っては、どこに居るのかさえ分からないが、私はどちらかと言えば、従兄弟の中では年上になり、彼らも恐らく若くても60歳前後だろう。母が亡くなってからは、父方、母方ともに合うことも滅多に無く、住所が分かる親戚にはこの通信を年2回送る様に心掛けている。

父方は、熊本以外にも福岡県中心に九州に多く、私が高校生の時「いとこ会」を福岡県大川市の従姉宅で開き、数10人集まったこともある。その後も大学受験で従兄姉や伯母宅に泊ったこともある。約50年前、父が62歳で亡くなった後も、私が福岡在住の時や、鹿児島に居住しても出張時に立ち寄ったりして、一緒に中洲に飲みに行ったり、交流が合ったので、今でも従兄姉たちとは親しく交流をしている。

さすがに21世紀に入り、私が50代になり、行き来することは少なくなったが、2008年5月、母が鹿児島で亡くなった時が最後に叔母や従兄たちが来たが、それ以来会うことは無くなった。しかし母の死をきっかけにこの通信を始めたので、電話や手紙のやり取りが再開し始めた。その後も時々従姉や、叔母からお礼の電話や手紙をいただく。

7~8年前だろうか、久留米でダスキンオーナー会があったので、翌日従姉2人と昼食を取り、旧交を温めた。数10年ぶりに会い、ご自宅まで送った。その後も時々お電話をいただく。二人とも90歳を超えるが、ご健在だ。今年に入り、私より5歳上の従兄からも電話があり、途中で奥様とも変わり長くお話をした。初めて聞いた父のエピソードも聞き、電話を切った後も、温かい感覚に包まれた。母方の叔母からは手紙が届いた。近況の報告とともに、私のことを誇らしく思い、これからも通信を楽しみにしている旨を書かれていた。みんな現役をリタイアされ、家にいることが多く、刺激が少ない中で、私の通信を楽しみにしていることを知り、こんなことでもお役に立っているのだなと感じる。

私は、最近身体が元気な限り「生涯現役」を続けよう、と思っている。仕事でお役に立つことが長く続けれることが、何よりも長寿の秘訣でもある。併せて趣味である「ELVIS JOHN 小林」ショーを続けることで、皆に喜ばれることになれば、こんなに幸せな人生はないと思う。・・・私の知人から「“サミュエル・ウルマンの青春”を体現している」と言われ、早速調べてみた。「“青春”とは人生のある期間だけを言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦をしりぞける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を“青春”と言うのだ(以下略)」とある。素晴らしい詩だが、私はとてもその比ではない。しかし私なりに“青春”の灯を燈し続けたい。


母方伊藤家、後列真中が若かりし母
両親と兄夫婦と妹たち(6人)
赤ん坊は母の末妹(現在90歳)